2012年7月23日月曜日

ハイブランドの存在感

先週末、あちこちで「LOUIS VUITTON × 草間彌生のコラボコレクション」の情報が出てた。出ていたのは、新宿伊勢丹とドーバーストリートマーケット銀座、それにルイヴィトン表参道の情報。
ドーバーはコムデギャルソンなので、草間さんの強烈な水玉が占拠しても、それほど突拍子もない見た目ではないけれども、伊勢丹は明治通り側と新宿通り側のショーウィンドウは、すべてLOUIS VUITTON × 草間のディスプレイになっているようです。


         新宿伊勢丹


         ドーバーストリートマーケット銀座

伊勢丹の「LOUIS VUITTON × 草間彌生」一色の打ち出しには驚いたけど、考えてみればまぎれもなく“ファッション”のプレゼンテーション。価格もリーズナブルなリアルクローズなんてことは考えていないだろうし、バッグや小物だと飽和しているヴィトンものを、また買ってくれる(かもしれない)だけの訴求力を持っていると感じてしまいます。
セレブリティは喜ぶだろうし、高年齢の富裕層も飛びつくかもしれない。ほとんどが従来のモノグラムで、一部分だけど草間水玉になっているアイテムなどは、従来のヴィトンに価値を感じている人達を惹きつけそう。
きっとルイヴィトンにとっても、かつての村上隆コラボ以上の挑戦だと思うけど、こういうことが出来る度量って、マーク・ジェイコブスだけじゃなくて企業体が持っている勢いなんでしょうか。
このコラボ自体が万が一それなりの数字的な実績をあげなかったとしても、ルイヴィトンに興味のない人にまで強烈な印象を植え付けられ、トータルでは成功するんじゃないかという気がします。まったくルイヴィトンに興味のない私まで、スゴイなぁと思ってしまいました。

ワコールが草間彌生コラボブラを出したり、今朝の新聞に雑誌「SUPR」の全面広告が出ていて、そのビジュアルが完全に「LOUIS VUITTON × 草間彌生」になっていたり、裏の仕掛けの大きさを感じましたが、それにしても世界的にはリーマンショック後初のファッションらしい、大きな発信なんでしょうね。


一方、LOUIS VUITTONのような派手さはないけれども、確実にブランド価値を高めるコミュニケーションをしてるのがGUCCI。
7月14日(土)より、フラッグシップショップであるグッチ新宿で、ジミー大西の「ドリーム ワークス」展が開催されているそうです。
ジミー大西の代表作品約30点を展示していたり、スペシャルディスプレイを行なっていたり。なんで、グッチがジミー大西なんだと疑問を持ってしまいますが、一方でちゃんと作品のアート性を理解してやってる。分かってるブランドだなぁと評価する人もいるでしょう。
7月16日には東日本大震災で被災した子どもたちを招いてのワークショップも開催されたそうです。どちらかといえば社会的存在としてのブランド、エシカル的存在に近いような展開だという気がします。

さらに、グッチが今年の2月からやっているのが、『HAND』というブログ。
いろいろ勝手なことを書くより、オープニングメッセージを引用させていただきます。

1921年の創設以来、グッチにとって

フィレンツェに受け継がれる職人の技術や丁寧な手仕事はかけがえのない財産です。


昨年、世界遺産である京都金閣寺の「方丈」において、

グッチのアーカイブと日本の歴史的建造物を融合させた展覧会を開催。

京都とフィレンツェの職人技をつなぐグッチの活動ご存知でしたか?


伝統の職人技が創りだす、時代も国境も越えた普遍的価値を次世代へ守り継ぐ大切さ――。

その思いをこめて、グッチは来週2月22日(水)

「HAND」と題した新オフィシャルブログにリニューアルします。


このブログでは、グッチが日本で見つけた「手仕事」を

オリジナルで撮り下ろした動画で紹介していきます。


日本には伝統的かつ独創的で、クリエイティブな「手仕事」がたくさんあります。

でも、私たちが知っているのは、そのほんの一部に過ぎません。


「HAND」のタイトルにも込められた、大切で、丁寧な日本の「手仕事」。

モノづくりの“伝統”と“革新”を、グッチとともに旅してみませんか?


職人技が支えるブランドという、マーケティング以前の企業スタンスがストレートに伝わって来ます。特に感心してしまうのが、日本の「手仕事」を動画で紹介してしているところ。本来なら、日本の企業や公的な機関がやるべきだという気がします。
ビジネスだけをしに日本に来たわけじゃない。日本の手仕事に敬意を表しながら、私たちも職人の一員として活動しているんだよというメッセージが、てらいもなく伝わって来ませんか。


今まで明珍火箸の造られる過程が映像で紹介されてるのって、私は見たことがないです。

HAND 未来に受け継ぎたい手仕事



VUITTONとGUCCIという、ハイブランドがやっていること。こそれは一見、仕組みとしてのマーケティングを無視して、自らの価値を再構築するような挑戦ではないでしょうか。両ブランドとも関心も縁もなかったのですが、どうにも好感を持ってしまいます。


2012年7月20日金曜日

セール、セール、セール

セールの盛り上がりも、そろそろ終わりという感じなんでしょうか。
とにかく、このところの渋谷の街は、セールのショッピングバッグを持った人たちが
大勢行き交っていました。






















近年ファッションに関しては、カード会員10%OFFとかポイントプラスとか、様々な切り口で、年中“お得感”が演出されてた。ファッションなのに、価格でしかアピール出来ない時代なんでしょうか。価値を感じてもらいにくい社会になったんでしょうか。
今年、一部のファッションビルや百貨店では、セール開催時期の適正化を提唱されて、7月の中旬からのセールにするという動きが出た。そもそもシーズン終盤で売れ残ってしまいそうな品物をセールにかけていた時代から大きく転換して、売れないからよそよりも早く安く売る。という競争。それは、さすがにマズいでしょう。

買うお客さんは嬉しくても、業界は疲弊してしまいますと。それよりも従来よりも細かく、アピール出来るアイテムを投入しましょうという前向きな姿勢。


これが狙い通りにアピール出来たかどうかは知らないですけど、今や季節感は、個々人の自由。冬にTシャツ1枚という外国人観光客チックな人もいるし、真夏にブーツを履いてる人だっていくらでもいる。ここでSSからAWのアイテムに切り替えなきゃというような、ファッションカレンダーに合わせたような人は少ない。
早く買わないとこの品番は売り切れになってしまう、と焦って立ち上がりに店に駆けつけたり、ECサイトで予約するような人は一定数いるけど、セールの盛り上がりとは距離を取ってそう。

そんな私なんかの分析まがいの見解は、どうでも良くて(笑)
今年のサマーセールは実感として、どうだったか。土日は除いて、平日に見てる限りでは、昨年より客数も買ってる量も少ないんじゃないの、という印象。
そりゃもうECサイトでも、渋谷の街としても、部分部分のセールは常態化してるので、2週間程度の間に人が集中するって現象は、どんどん小規模になると考えるのが当然かも。
あるいは3.11後の、価値観の変化。過剰なものは、買わない、持たないみたいな傾向が拡大しているのかもしれませんし。


自分自身のことをいうと、セールというと、けっこうワクワクして買ってたはずなんですけど、過剰なものは買いたくないという意識が強くなっています。
だけど、一度だけ、セールを目当てに行ってきました。昨日なんですけど

スーツに合うスニーカー、という切り口で売ってるブランドをネットで知って。検索してみたら、会社からすぐのところのファッションビルに入ってる靴のショップが扱ってた。これは行ってみよう。ところがエレベータを降りた階は、ストリートファッションの店ばかりで、おっさん立ち入り禁止感がプンプンしてたんですよ、やっぱり(笑)
靴のショップを見つけて、店内に入ると店員さんがいない。スーツに合うスニーカーは、すぐに見つけたんですけど、なんか期待はずれかなぁ。でも同じブランドの他のスニーカーは良さげじゃない、と思ったんですけど、値札にセール価格が表示されてない。
あら、通常価格なの? このブランドは、セールじゃないんだ。
と思った瞬間、店員さんから声を掛けられた。じゃあ試してみるだけ試してみよう。満足度が高そうだったら、定価でもいいや。
試してみたら、まあいいんじゃない程度だったんですけど、店員のおねえさんの接客に感心しちゃって。そんなこと言ったら、買わなくなっちゃうよと思うようなアドバイスまでしてくれる。なにより履く時に、スニーカーの後ろに靴べらをさして、私が自分で持とうとしたら、いえ、私がやらせていただきます、みたいな接客。どんだけ高級店なんだよという感じで。もちろんストリートファッションフロアだから、若者向け店。

いやもう、ここまでされたら、買うしかないでしょうという気持ち。
考えてみたら、若者はああでもない、こうでもないと時間をかけてお気に入りの品を探す。他店も回ってくるのが一般的だろうし。若者向けの接客は、こういうのがデフォルトかもね。
私は買い物に、時間をかけない。この時も15分程度。おっさんは、たいがいひとりで買い物しないし、あちこち見回ったりしないはず。私の周囲では、そうだ。
でもおっさんのひとり客なら、きっと正統派の接客が効果的なんだ。
正統派は、おっさんホイホイ。セールじゃなくても、買っちゃうし(笑)
オンラインのECには、できないよなぁ、これって。





Justice / DANCE

2012年7月17日火曜日

バイラルのラブ度

先週、Google+に『NO NUKES 2012』の会場でも流されたという元駐スイス大使のメッセージを投稿してた。私はユーストリームで見て、これは知らしとくべきでしょうと思って。
そしたら翌日、G-mailに来てるメッセージを見て驚いた。+1してくれたのが14人で、共有されたのも14回。直接的な拡散としては大したことはないけれども、そもそも私をサークルに入れてくれているのは50人程度で、しかも半数以上が現実のつながりだ。そんな中で、+1や共有してくれたのは、ほとんどが知らない人。活性化していなさそうなGoogle+で、こんなことが起こるなんて(笑)

原発問題という、関心度の高いテーマだからなんだろうか。そりゃあ、もちろんそれが一番。しかしGoogle+内で検索して、わざわざ私の投稿を読んで、共有してくれたりしてる。共有された内容は、さらにまた共有されてたりするので、最終的にはどれぐらいの人の目に止まったのか、想像もつかない。

Twitterでは何十人からリツイートされたこともあるけど、あれは面白画像だったし、タイムラインで流れてるから、実質的にそれほど拡散していない気がする。

Google+の投稿



NO NUKES 2012』のユーストリームを仕切って、司会もされてた平野友康さんは、著書『ソーシャルメディアの夜明け』の中で、ラブ度が重要。テレビで何十万人が観てるといっても、ユーストリームで観ている人たちの「ラブ度」とは比較にならないという趣旨のことを書かれている。もちろん、世の中にはUstしか観ないという人もそれなりにいるから、なんとなく眺めてるだけのケースもあるだろう。それでもテレビと比較すれば、圧倒的に積極的に観ているはずだ。『NO NUKES 2012』は、私が帰宅してパソコンを立ち上げた時には、もうライブは終わってた。それなのに2万弱が視聴してた。余韻に浸ってるとか、惰性でってこともあるだろうけど、双葉町の町長が出演されたり、元駐スイス大使のメッセージが流れたりと、あまり惰性で観てることは考えにくい。それなりに共感してないと、それなりの人数は集まらなさそうだ。





バイラルを仕掛けて、売上につなげる。多くの企業にとって重要な課題になっているけれども、ECサイトをメインの販売手段としているところなどは「炎上」も、サイトへのアクセスが激増し、販売額増になるというセオリーを確立していたりする。

あるいは、いまだにFacebookでのいいね!を獲得しさえすれば、バイラルが有効に働くと考えている企業も少なくないでしょう。
もちろん、顧客層や扱っている商品によって、有効な仕掛け方は違って当然だと思う。ただだけど、そういうのはクーポンなどのフラッシュマーケティングととても似ていて、打ち続けなければ効果がなくなるものではないでしょうか。

じゃあ企業が計算して、ラブ度が高くなる仕掛けをソーシャルメディアで作ることができるんでしょうか。現実問題としては、とても難しい。たぶん、困難。

たぶんバイラルには、とんでもないネタを用意する。インフルエンサーを引きつけ、拡散してもらえる仕組みを作るということが必須だと多くのウェブマーケティングが語られていると思いますが、それってどうもレガシーマーケティングな「問屋に、小売店に押し込む」手法と大差ないように思えます。


だけど視点を変えてソーシャルメディアやウェブ、そして仕組みありきじゃなくて、自社のファンを作るためにはどうすればいいかというところから発想していけば、活路があるような気がします。

生活者に「ラブ度」を感じてもらうには、まず他社とどう違うかがないと。代替されてしまうものなら、ラブはすぐ冷めるでしょうし。誤解をおそれずに言えば、商品やサービスが似通っていても、たぶんいい。かつてはCMによるイメージの差別化が重要でしたけど、今はソーシャルメディアによる、メッセージの明確化だけで「ラブ度」はけっこう上がっているように思えます。だってほら、あの会社だって、あのアーティストだってそうじゃないですか?
立ち位置をはっきりさせることで、「ラブ度」は上がる。はっきりさせると嫌う人も出てくる。でも企業だってソーシャルな側面を持たないと、存在しないのと同じ時代になっているのかもしれません。





2012年7月12日木曜日

いっそ、裏側見せ作戦

CNN.co.jpによると、米「セブンティーン」誌が8月号に「ボディ平和条約」を掲載、「少女たちの身体や顔の形を変えないことを約束する」と宣言したそうです。
これはモデルの写真を加工して現実以上に美しく見せていると批判されたことを受けてのもので、
14歳の読者が同誌に提出した嘆願書で「雑誌に登場する『可愛い女性』はインチキ」「画像編集ソフトなどを使って、痩せて見えるよう、肌が美しく見えるように加工されている。雑誌の少女を実際に見たら全然違って見えるはず」と主張。賛同した8万4千人以上が署名したと報じています。

http://www.cnn.co.jp/showbiz/30007254.html







嘆願書では「非現実的な美を称賛する文化が助長され、摂食障害や極端なダイエット、うつなどの原因になる」という趣旨のことが書かれているそうですが、多感な少女たちに病気になるようなど影響を与えているのだとすれば、確かに問題。ただ、そうすると絵画なら、非現実的でも差障りがないのか、イラストは、コミックはどうかと、さまざまな論議を呼びそうです。
精神医学的な側面は分かりませんが、私はつい最近まで、読者は、オーディエンスは加工されていることを承知の上で楽しんでいるのではないかと思っていました。ところが地デジ、ハイビジョンになって、俳優やタレントがテレビ番組に登場して、ショックを受けたという人たちがいます。あこがれの対象にシワがある! と気づいてショックだというのはともかく、コスメの広告に出ている女優は毛穴がないと思ってたのに、という人までいます。
それがアラフォー女性だったので、こちらが驚いたのですが(笑)


う〜ん、そうなのか。うちなんかでも、さわらない写真はないし、合成前提に撮影することも少なくないよなぁ、なんて思ったりして。
だけど人の顔なんて、修正しなくたって、ライティングやアングルで全然変わって見えるじゃない。若い女の子だって、プリクラや自撮りで奇跡の一枚を追求してるでしょう。FacebookやGoogle+のプロフィール写真だって、フォトショップではないにせよ、アプリなんかで加工してる人が少なくないじゃない。


SNSが当たり前のものとなって、よく「FFの写真と出てきた商品が違いすぎる」ネタを見かけます。そりゃあ老舗の店の料理写真だって、湯気が出るようにしたり、美人や男前に見える仕掛けはしてるよね。チェーン店なら、加工や合成は当たり前でしょうと思うんですが。
こういう投稿も、批判、ってことまでじゃなくて、ウケる鉄板ネタだということなんでしょうね。



「Behind the scenes at a McDonald's photo shoot」というタイトルで、カナダのマクドナルドが、バーガーの撮影方法や加工の過程を公開動画を、Youtubeで公開しています。



よくまあ、こんなことを公開するなぁ。カナダでも実物と違うじゃんという声が多いのか、と思って見てたら、

「具材が見えるようにしておくことで、写真を見ただけで何が入っているのかが分かるという効果もあり、ましてや演出してるのはここまでですよ」、と語っているようです。広告写真制作の裏側を見せることで、逆に広告への信頼感をあげる効果を狙ってるのかもしれません。

なんか、上手なコミュニケーションですね。


裏側を見せるということでは、こんなのもあります。カナダのマクドナルドの動画に似た
Behind the Scenes at the SS12 Advertising Campaign Photoshoot」というタイトル。
これはもう、熱心なファンへのアピールですね。裏が、裏返って表ですよ(笑)
でも裏側を見せるなら、ドキュメンタリータッチか、
裏側風に仕立てたエンターテイメントか、どちらかしかないですよね。




裏が見えちゃってるし、マニアはいるし、過敏に受け取る人もいる。
じゃあ、どういうコミュニケーションが必要なんだというと、これってお化粧と一緒でしょう。
スッピンでいくか、完ぺきに盛ったメイクでいくか。自身のアイデンティティとターゲットがどうかというのが、まず問題で。ただターゲットはスッピン好きでも、
ご両親はスッピンなんてマナーがなってないと怒ったりしてね(笑)
どうせ、万人受けはないと割り切れば、残るのはアイデンティティですよね。


2012年7月9日月曜日

時間を止めるセルフイメージ

この週末、合気道の昇段審査があった。三段の審査を受けた。
合気道にもいろいろあって、私が稽古しているのは養神館という流派。警視庁の中にも道場があって、女性警察官や要人稽古にあたる機動隊員が稽古しているそうです。そうですって、知らないような書き方してますけど、毎年開催されてる養神館の大会では、ピーポくんマーク入りの道着を着た女性警察官の華麗な演武を見ることができます。華麗なといっても、普通、男性はビビります(笑)


審査は、あらかじめ指定されている技や、その場で指定される技。あるいは後ろから両手を掴むとか短刀で突いてくるとかいう設定だけ決めて、さまざまな技を繰り出したりして、習熟度などが判断されます。三段審査は、最後に三人取りというものがあります。剣(木刀)で斬ってくる、短刀で突いてくる、拳で突いてくる三人を相手に、つぎつぎに繰り出される攻撃を、走り回りながら一挙動の技で倒していきます。


そんなに自信があったわけじゃないですが、最後の三人取りだけは、さんざん稽古したし、なんとかなるだろうと思いながら審査に挑みました。
ところがところが、その場で指定された技のところで頭が真っ白になる。あれ、なんだっけ。それでも身体が勝手に動いてしまうのですが、自信なさげ。
最後の三人取りをやる前には、湿度の高さと緊張とでエネルギー切れ寸前。なんとか気力で乗り切ったとは思うけど、退場してからはひっくり返って、ゼイゼイという荒い呼吸を繰り返してた。
内容はともかく、この体力のなさはどうしたこと? 

いやいや、考えてみれば自分の年齢からすれば当然だわ。いつもは稽古してて大学生より体力あるじゃんと思ったりして、完全に年齢を忘れてる。でもボクシングのチャンピオンだって、50歳にもなれば、全力で動いて1ラウンドも保つわけがない。
体力をさらに向上させるより、まず省エネで動くためにどうするかを、考えないと。




話はまったく変わって、先日、クライアントのところで十数年前に資生堂のやったキャンペーンのことが話題になった。『美しい50歳が増えると、日本は変わると思う。』という斬新なコピーで、業界内ではとても話題になった。ところがクライアントのところでも、その言葉が出たんだけど「大きなお世話よ」というのが、多くの女性の反応だったそう。
ひとつは年齢で切られること。そして美しいか美しくないかを、企業が線引きするような印象。また美しい美しくないが社会的な意味を持つようなメッセージ。
考えてみれば、とてもデンジャラスな領域に手を突っ込んだキャッチフレーズだったのかもしれない。

今はアンチエイジング化粧品を20代の女性が使ったり、60歳のエグゼクティブがフォトフェイシャルに出掛けるような時代。
自分がこうありたいというイメージに近づける努力をしているのか、
それとも今のままでキープして時間を止めてしまいたいと思っているのか。

たぶん、人から見られた時にどうかということが先ではなく、自分がこうありたいというようなセルフイメージが重要なんじゃないかという気がする。
ファッションが制服のようなスーツから、カジュアルへの移行が進んでるように、コードはどんどん自由になっている。基準があいまいで変化してるんだから、これが正解ですよとメッセージするのは、あまり効果的じゃない。きっと、どうしたいかを引き出すための手掛かりがバラまかれているところに人は惹かれてくる。
40から、50からの歳は、とらないものとしている女性は多いと聞く。ということは、アンチエイジングじゃなくて、ストップエイジング?


時間を止める、というと大げさだけど、進行をゆるやかにするための衣食住。
これって、大きなマーケットじゃないですか。
いわゆるエルダーマーケティングみたいなことって、一言でいえばジジクサい。調査してニーズを引き出しただけじゃあ、衰えたところを補ってもらうような発想で前向きな消費はなかなか出て来ない。歩くのがしんどいから、タクシーを使うという発想は、前向きにはなりにくい。ジョギングして足腰を鍛えるとか、姿勢や歩き方を正して痛まないようにするとか。もしかしたらEMSで筋肉を鍛えるみたいなことだってあるかもしれない。


そんなことを思ってたら、「American Apparel」が、ベーシックラインの新しい広告モデルに61歳のJackyを起用。同社の広告モデルとしては最高齢だというニュースが入ってきた。セクシー路線のAmerican Apparelだから、なおさら衝撃的だ。
アラ還ばかりか、もっと下の年齢層からも支持されるのでは、と思う。アラ還をナメていないところがいい。少なくとも生活者のセルフイメージの方が、マーケティングより先を行ってるはず。